とおくない将来、それどころか、ごくちかい未来に、AI・ロボットが医療通訳に取ってかわるだろうと予測するひとが、すくなからずいます。前編では、ばく然とおおくの方がかかえている、この見方がはたして本当だろうかという点について、公開されている専門家・研究者たちのことばに耳をかたむけてみました。すると、専門家・研究者たちは、医療通訳どころか、通訳・翻訳といった職業もAI・ロボットがすぐに取ってかわることがあるだろうとはみていないことがわかりました。
ところで、わたくしは医療通訳という職業がじぶんの職業であるから、これからものこりつづけてほしいという希望的観測で「AIは医療通訳に取ってかわるだろうか」を書きはじめたのではありません。AI・ロボットが医療通訳に取ってかわるだろうとする議論には、医療通訳が支援すべき患者の方への視線がかけているとかんじたのが、この記事を書きはじめた動機でした。医師の職業倫理についての誓い(ヒポクラテスの誓い)を現代的なことばであらわした世界医師会のジュネーブ宣言のなかに「私の患者の健康を私の第一の関心事とする」(THE HEALTH OF MY PATIENT will be my first consideration)とあるように、医師は患者の健康を第一にかんがえています。チーム医療の一員として、医療通訳もおなじように患者の健康を第一にかんがえて行動すべきだとかんがえます。
後編では、医療通訳という職業に焦点をあてて、AI・ロボットについてのことを、もうすこし掘りさげてかんがえていきたます。なお、掘りさげていくうえでは、次の3点についてみていきたいとおもいます。
- 医療通訳とはなんなのか
- 医療通訳が患者に寄りそうとはどういうことなのか
- 経済的なインセンティブのわな
医療通訳とはなんなのか
医療通訳という職業について当ブログでは以前、「医療通訳ってなんだろう」にまとめました。いま読みかえすと、ことばの橋渡し役としての役割に焦点をあてすぎているように残念ながらかんじてしまいます。まず、医療通訳は、ことばだけでなく、ことばをふくむ、コミュニケーション全般の橋渡し役といえるでしょう。さらに、日本の医療の現場(日本的医療文化といえるかもしれません)に不慣れな外国人患者と、医療従事者をむすぶ橋渡し役ともいえるでしょう(外国であれば、日本人患者と、外国の医療従事者をむすぶことになります)。
厚生労働省ウェブサイトの医療通訳についての資料ページで公開されている「医療通訳」というテキスト(9月中旬現在改訂版を作成中)の「医療通訳者のコミュニケーション力」(171ページ〜209ページ)には、医療通訳が現場で発揮しなければいけないコミュニケーション力のさまざま面がしめされています。
このなかでは、ことば(言語)だけでなく、非言語コミュニケーションが取りあげられています。非言語コミュニケーションには、表情やしぐさ、声の調子、間といったものや、パーソナルスペース(身体的な空間)といった、おおくの要素があります。さらに、比喩などは、言語コミュニケーションと非言語コミュニケーションの中間といってもいいようなものでしょう。日本人だったら、わかりやすいものも、外国の文化では、まったくちがった表現がたくさんあります。こういったものも、くみ取っていくことが医療通訳にはもとめられています。
さらに、医療の現場では、予想もつかないところに話がすすんでいくことがいくらでもあります。ある医師と話していたところ、たとえ話として「囲碁をしていたつもりで打っていたら、実は五目並べをやっていた」かのように、診察のなかで、事態が変化することがあるのはよくあることだということでした。
医師は、診察をするなかで、患者の健康を第一にかんがえ、常にいろいろな信号を受信するように、患者とコミュニケーションをしています。医療分野によって、AIが正確な診断に貢献したという例もあるようですが、医師がAIによってちかいうちにきえていく職業であるという見方はまだ限定的なようです。それは、医師が患者に共感し、しっかりとコミュニケーションしていくことが、診断・治療において重要だからです。
医療通訳は、医師と患者のコミュニケーションを支援します。医師の重要な役割が患者とのコミュニケーションである以上、医療通訳者がすぐになくなるというのは、医療通訳の責務を「要は言語の通訳やっているだけなんでしょう」と狭くとらえられているからゆえの判断なのではないでしょうか。
医療通訳が患者に寄りそうとはどういうことなのか
医療の現場では、患者の「心」または「気持ち」を無視することはできないでしょう。患者は、おおくの場合、とてもつらく、不安な気持ちをかかえて、病院にきています。外国人でしたら、コミュニケーションの問題もありますから、なおさら不安でしょう。さらに、外国人患者のなかには、文化的な背景から、こういったつらさや不安を素直に口にすることをためらう方がすくなくありません(もちろん、日本人にもこういった方はいます)。医療通訳には、こういった「心」の動きや「気持ち」、察することがもとめられています。
医療通訳は、基本的に黒子ですから、前面にたって、患者の不安をやわらげたりすることはありません。しかし、患者のつらさや不安を感じとって、医療従事者につたえることで、患者の健康に貢献することができます。
AI・ロボットについては、こういった患者の「心」「気持ち」をくみ取っていくことができるのか、そもそもくみ取るできるのかということがあります。前編でみたところによると、「『察する能力』はゼロ」ということですから、AI・ロボットが「心」「気持ち」をくみ取るところにまでいくまでには、まだまだ課題が山積しているといえるでしょう。
経済的なインセンティブのわな
不安にかんじるのは、医療通訳の普及といった課題の解決が経済性を優先してAI・ロボットの導入などといったかたちで進められてしまう可能性です。「AIは医療通訳に取ってかわるだろうか」を書くきっかけとなった「AI・ロボットが医療通訳を不用にする論」がひろがる背景にも、こういった経済的な論理があるとかんじました。
そこで、経済的インセンティブのわなとして、人力にとってかわるAI・ロボットの導入がもたらす危険性についてみてみたいとおもいます。米国には、数十年前から普及している聴覚障がい者むけの字幕サービスがあります。最近では、AIによる字幕の自動作成が進んでいます。YouTubeなどの自動字幕機能で実感されている方もおおいでしょう。
しかし、AIで最先端を進んでいるとおもわれるGoogle傘下のYouTubeでさえ、質がたかいとはまだまだいえません。80年代後半にアメリカで学習用に個人的に利用していた経験からいうと、字幕の質の低下はおそろしいほどです。最近のアメリカのテレビ番組をみるとまったく話がわからないということがすくなくありません。視覚障がい者の側からみると、AI化によって、字幕サービスの質はここ30年でおおきく低下したといえるでしょう。これは、経済性を優先して、AI化をすすめたことによる弊害といえるでしょう。もちろん、長期的には性能が向上していくことが期待できるでしょう。しかし、長い目で見れば、一時的なこととはいえ、視覚障がい者がサービス低下を無理じいされているというのは、本末転倒ではないでしょうか。
おおくの医療施設はきびしい経営環境のなかにいます。そのなかで、医療通訳を医療サービスのひとつとしてくわえるとなると、AI・ロボットの導入といった解決策には、経済的なインセンティブがあります。わたくしは、AI・ロボットの可能性を全否定しているわけではありません。一つ一つ課題を乗り切った先にAI化というの可能性はあるでしょう。補完的には、すぐにでも導入できる分野もあるだろうと思います。
しかし、まずは手元の課題を一つ一つ乗り越えて行く姿勢が大切であると感じます。その時に大切なのは、まず「患者さんに寄り添う」という姿勢だとおもいます。医療通訳が主役なのではなく、患者が主役なのだということ、「私の患者の健康を私の第一の関心事とする」ということ、このことが大切なのだとかんがえます。経済性が優先され、患者不在の論理で、AI・ロボット導入などということがすすめば、そもそもなんのために外国人患者受け入れの環境をととのえるのかという話になるでしょう。