「オミックスってなんだろう?」というタイトルをみて、答えを求めてきた方たち、ごめんなさい。ここには、オミックスまたはオミクス(omics)っという科学そして先端医療の分野がなにかという答えは書いていません。実際のところ、「ななめ読み」しようにも、表面をなぞるだけでも四苦八苦しているのが現状なんです。
この投稿のなかには、ゲノム(genome)やプロテオーム(proteome)など、さまざまなオーム(ome)をはじめとする「生体中に存在する分子全体を網羅的に研究する学問群」と言われるオミックスについて、最近知った私がいろいろと調べるなかで得た材料・マテリアルがちりばめられています。「オミックスってなんだろう?」という疑問への答えはありませんが、読んだ方が自分で調べていくことができる手がかりは豊富にあると思います。
オミックスの研究が進んでいる海外の資料を読むのに役に立つであろう関連用語をまとめた単語帳もあります。また、参考とした記事や、ウェブサイトも紹介しています。
語源からオミックスへの理解をこころみる
大阪大学に松尾雄志先生というとてもユニークな先生がいます。この先生が12年前に書いた「-omeや-(m)icsの意味―語源が分かれば見えてくる?」という「生物物理化学」誌に発表した文章がオミックスを理解する最初の手がかりになりそうです。
くわしくは、松尾先生の文章をぜひ読んでほしいのですが、「ななめ読み」的に先にすすむと、”-ome”とは”whole part of”という意味だそうです。ですので、”genome”(ゲノム)とは”whole part of gene”ということになります。では、”whole part of gene”というのはどういうことかというと、はっきりとは前後から考えると、「geneの網羅事項(もうらじこう)」いうことのようです。同様に、”-ome”によってあらわされる”metabolome”や”proteome”などは、それぞれ”-ome”の前にくるものの「網羅事項」ということになります。
「網羅事項」といわれても、ちょっとピンときませんよね。メタボローム(metabolome)ということばを理解しようとすることがいい手がかりになるかもしれません。
“metabolome”は何の網羅事項かというと”metabolite”、代謝物質なんです。体内の代謝活動によって生みだされる代謝物質にはいろいろなものがあって、比較的なじみがあるものとしてアミノ酸(amino acid)や糖(sugar)、有機酸(organic acid)、脂肪酸(fatty acid)、核酸(nucleic acid)などがあります。こういった代謝物質を網羅したものがメタボロームというですね。
-omeにitsをあわせると
つづいて、”-ics”です。これは”study of”(研究・学問)という意味だと松尾先生は説明しています。”economics”(経済学)などがそうですね。ここで、ちょっと松尾先生は脱線してます。”genomics”(ゲノミクスまたはジェノミクス)は、”study of gene”だというんですよね。しかし”genetics”がありますので、”genomics”はやはり”study of genome”になるはずです。
いずれにせよ、こんな感じに、いろいろな”-ome”があって、そのひとつひとつに研究があり、それぞれの研究の名称が”-omics”でおわる英単語になっているんです。そして、語の要素でなくて、単語となった”omics”(オミックスまたはオミクス)というのは、そういった”-omics”という語の要素を含む名称のいろいろな学問全体をつつみこむ学問分野をあらわす言葉としてつかわれているんですね。なんとなくわかってきたでしょうか(よくわかっていない私が聞くのも変な話ですが)。
情報学がささえるオミックス
それぞれの”-omics”は、あつかっている対象が分子レベルであって、それを網羅的に取りあげているというのが特徴といえるでしょう。体内にある分子レベルの研究対象を網羅的に取りあげているのですから、情報量はものすごいことになります。それを支えるのが、健康情報学・医療情報学(health informatics、medical informaticsなど)といわゆる情報学の分野です。
AIによる診断が話題となっている昨今ですが、大量の分子レベルの情報を扱うオミックスの分野でも、情報学・ITが医学・医療の進歩を支えています。そのことがよくわかるのが、”individualized medicine”の世界です。
「個別化医療」などと訳されている”individualized medicine”は、オミックスの一つの成果といわれています。遺伝子レベルで、患者の体を分析し、今までの医療では診断をくだすことができなかった疾患の診断・治療につなげる医療分野です。
“individualized medicine”の最先端をいく医療機関の一つが、米国メイヨクリニックの”Center For Individualized Medicine“です。この医療機関がおこなっていることや、発表していることには興味ぶかいことがおおいのですが、感心するのが医療チームの構成です。
“primary physician/physician specialists”、”genetic counselors”、”laboratory professionals”、”bioinformaticians”、”bioethicist”と5つの分野の専門家(ただし、医師については2分野にさらにわかれる)で、この中に、しっかりと情報学の専門家がはいっています(「倫理」の専門家がはいっているのも、中国の研究者による人間への遺伝子操作の報道があっただけに遺伝子治療のむつかしさをしめしているといえるでしょう)。
「サイエンティスト」誌のオミックス記事
オミックスの現状をえがいた記事が今年前半に「サイエンティスト」誌に掲載されました。オミックス技術のひとつ、全エクソーム解析(WES、whole exome sequencing)を取りあげたExome Sequencing Helps Crack Rare Disease Diagnosisです。
記事では、オーストラリアと米国の2件の未診断疾患について全エクソーム解析が使われた事例を取りあげ、オミックスの一実践分野である全エクソーム解析の現状を伝えています。さらに全エクソーム解析や、全ゲノム解析(WGS、whole genome sequencing)、RNA解析(whole-transcriptome sequencing, RNAseq)といった分子レベルのオミックス解析を確定診断にいかすための、全米レベルでのデータベース構築の取り組みにも触れています。
未診断疾患については、日本国内でも国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)が中心となり、未診断疾患イニシアチブ(Initiative on Rare and Undiagnosed Diseases、IRUD)として2015年以来、国家レベルで取り組んでいるところです。
「サイエンティスト」誌の記事は、よくまとまっていますので、リンク先で本文を読むことをお勧めします。ここでは、記事中の2つの症例についてざっくりとした内容をあげておきます。
Scarlett Whitmoreちゃん(豪州パース、2歳女児)のケース
- 原因不明の発達障害、視覚・聴覚障害、筋力がない
- 豪州では、ゲノム解析を患者が依頼することはほぼ不可能
- 担当医(遺伝学)は解析に反対
- 家族の唾液をMyGene2に送り、全員の全エクソーム解析を行う
- 解析コストは、1サンプルあたり700ドル
- GNB1(G protein subunit beta 1)の変異を発見
- 親からの遺伝ではないことがわかる
- 同じ疾患をもつ、世界中の30人の患者と研究に参加している
Nic Volkerくん(男児、ウィスコンシン医科大学受診)のケース
- 重度の炎症性腸疾患
- 4歳までに人工肛門をつけることになる
- 原因がわからず、対処療法だけを施す
- 2009年に全エクソーム解析を実施
- 解析コスト7万5000ドルは基金を募ってまかなう
- 1万6000の遺伝子変異(ヴァリアント)が解析によって判明
- 遺伝子変異を4か月かけて精査
- XIAP(X連鎖アポトーシス抑制タンパク質)の変異が原因と確定
- X連鎖リンパ増殖性疾患(X-linked lymphoproliferative disease;XLP)
- 症状に基づき、文献を調べたところ、2000ほどの遺伝変異が該当することがわかる
- ただし、XIAPはこの2000の中に入っていなかった。
- DNAシークエンスが初めて患者を救ったケースとして全米で話題になる
全エクソーム解析のコストは大幅ダウン、魔法の杖ではない
注目すべきは、Nic VolkerくんとScarlett Whitmoreちゃんの間の10年弱で、解析コストが大幅に下がっているということです。Scarlettちゃんの母親も、いくらこのコストでなければできなかったと話しています。
また、注意しなくてはいけないのは、全エクソーム解析による診断は、未診断疾患の25~50%にとどまっているということで、何でもできる魔法の杖ではないということです。米デューク大学の研究班が2012年に発表した研究では、全エクソーム解析がどれだけの診断率を達成できるか調べるため、12人の未診断疾患患者の全エクソーム解析を実施しましたが、ここでも50%にあたる6人で原因変異を発見することとなったそうです。メイヨクリニックのCenter for Individualized Medicineでは「未診断疾患を持つ患者のうち約1/3に確定診断をくだすことができた」としています。
データベース・ネットワークの充実
「サイエンティスト」誌の記事では、臨床診断へのエクソーム解析の導入について重要な役割を担っているのは、近年のゲノムデータベースの増強としています。そのデータベースも、特定のヴァリアントについての動物モデルから得たデータを統合するアプローチをとるMARRVELなど、新しい取り組みも行われています。
Scarlett Whitmoreちゃんの診断のきっかけになったMyGene2など、ネットワーク、サービスの充実も進んでいます。下には、データベースのほか、ネットワーク、サービスなど、オミックス関連のものを一部あげておきます。
- 1000 Genomes Project(2008~2015年実施): The European Bioinformatics Institute(EMBL-EBI)欧州バイオインフォマティクス研究所にある、The International Genome Sample Resource(IGSR、国際ゲノム・サンプル・リソース)が今はデータを管理・保管
- Exome Aggregation Consortium (ExAC): 2014年ブロード研究所の研究者におってローンチ。ブロード研究所が進めた研究を中心に、100の研究プロジェクトから収集した6万706のエクソーム解析を保有。Genome Aggregation Database (gnomAD、ノマド)によって、引き継がれた。ノマドは、記事の時点で12万3136のエクソーム配列、1万5496の全ゲノム解析をデータベースに保有
- 米国National Institutes of Health(NIH、国立衛生研究所)のClinVar
- 英国Wellcome Sanger Institute(ウェルカム・サンガー研究所
- カナダGenomics4RD(開発段階、名称変更の可能性あり)
- Model Organism Aggregated Resources for Rare Variant Exploration(MARRVEL): 各データベースから得た変異(ヴァリアント)についての情報を特定のヴァリアントについての動物モデルから得たデータを統合する新しいデータベース
- MyGene2: ワシントン州シアトルのthe University of Washington Center for Mendelian Genomics (UW-CMG)によるポータルサイト、全エクソーム解析、全ゲノム解析のデータを使った不明疾患の情報シェアを行っている。1件700ドルでゲノム解析を行う(記事の時点)。1,200のプロフィールを所有。
- MatchMaker Exchange: 変異(ヴァリアント)・表現型(フェノタイプ)の複数のデータベースやネットワークをつなげ、研究者・臨床家がある変異をもつ患者たちを見つけるのを支援する。
GeneMatcher: CMGの研究者が遺伝子情報共有のために設立したデータベース
My Drug Genome: 米Vanderbilt University ヴァンダービルト大学のPREDICT(Pharmacogenomic Resource for Enhanced Decisions in Care & Treatment)による遺伝学と薬効との関係についての情報リソース
用語集
英語 | 日本語 | 備考 |
---|---|---|
actionable | 治療選択に有用な | |
animal model | 動物モデル | ヒトの疾患と同じもしくは似た疾患をもつ動物 |
archaea, (sing.) archaeon | 古細胞 | |
Children’s Hospital of Wisconsin, CHW | ウィスコンシンこども病院 | |
clinomics | クリノミクス | オミックスのデータと関連臨床データとの研究 |
colostomy | 人工肛門形成(術) | |
combination therapy | 併用療法 | |
complex trait | 複合形質 | |
cord blood transplant | 臍帯血移植 | |
diagnostic odyssey | 診断オデュッセイア、診断オデッセイ、ドクターショッピング | ただし、ドクターショッピングが1)納得のいく診断が出ずに診断を求めて医療機関・医師を転々とする2)診断でているけれども治療法で転々とする―意味があり、ここでは1)の意味でだけ使われる |
DNA methylation | DNAメチル化 | |
drug absorption | 薬物吸収 | |
drug distribution | 薬物分布 | |
drug excretion | 薬物排泄 | |
drug interaction | 薬物相互作用 | |
drug metabolism | 薬物代謝 | |
drug resistance | 薬剤耐性 | |
epigenome | エピゲノム | トランスクリプトームを介したゲノムの表現; DNAの塩基配列を変えることなく、遺伝子のはたらきを決めるしくみをエピジェネティクスとよび、その情報の集まりがエピゲノム。 |
Epstein-Barr virus | EBウイルス、エプスタイン・バール・ウイルス | |
eukaryote | 真核生物 | 原核生物をのぞくすべての生物 |
exosome complex, exosome, PM/Scl complex | エキソソーム複合体 | |
genetic testing | 遺伝検査 | 一般に生殖細胞変異を調べる検査 |
Genome Aggregation Database, gnomAD | ノマド | ゲノムデータベース http://gnomad.broadinstitute.org/ |
genotype | 遺伝子型 | |
genotyping | ジェノタイピング、遺伝子型判定、遺伝子型決定 | 全ゲノムの配列を解読する代わりに個人間で異なることがあらかじめわかっているゲノム上の場所についてのみ検索する技術。個人間で配列が異なる箇所を検出する短いDNAを数百万種類合成して1枚のチップに搭載し、1%ほどの場所だけについて確認する。 |
germ cell | 生殖細胞 | |
germline mutation | 生殖細胞変異 | 個人が生まれながらに有し,生涯変化しないはずの細胞に生じた遺伝子の変化 |
hypochondriac | (形・名)ヒポコンデリー[心気症]の(人); 病気だと思ってくよくよする(人) | |
hypotonia | 筋緊張低下症 | |
immune-based therapy | 免疫療法 | |
interactomics | インタラクトミクス | 相互作用(interaction)を網羅的に調べる |
Langerhans Cell Histiocytosis, LCH | ランゲルハンス細胞組織球症 | https://plaza.umin.ac.jp/sawamura/braintumors/langerhans/ |
lipidomics | リピドミクス | 脂質(lipid)を網羅的に調べる |
Medical College of Wisconsin, MCW | ウィスコンシン医科大学 | |
metabolome | メタボローム | 代謝物質(metabolite)の総体 |
metabolomics | メタボロミクス、メタボローム解析 | 代謝物質(metabolite)の総体としてのメタボロームの分析 |
metagenomics | メタゲノミクス | 分離・培養過程を経ずに、最新のゲノム技術を応用して、自然環境下の微生物集団を研究する学問 |
metastatic cancer | (遠隔)転移がん | |
molecular dynamics simulation | 分子動態シミュレーション | |
National Cancer Institute, NCI | 米国立がん研究所 | |
National Institutes of Health, NIH | 米国立衛生研究所 | |
NCI Center for Cancer Research, NCI-CCR | NCIがん研究センター | |
NIH Clinical Center, NIH CC | 米国立衛生研究所臨床センター | |
omics | オミックス、オミクス | 生体中に存在する分子全体を網羅的に研究する学問群 |
pathogenicity | (名詞)病原性 | cf. pathogenic (形容詞)病原性 |
PDC, patient-derived cell | 患者由来細胞 | |
PDX, patient-derived xenograft | 患者由来異種移植片 | |
pharmacodynamics, PD | 薬力学 | 薬物が生体に対して何をなすかを調べる学問 |
pharmacogenomics | ゲノム薬理学 | 解読されたヒトのゲノム情報に基づいた薬理学 |
pharmacokinetics, PK | 薬物動態学 | 生体が薬物に対して何をなすかを調べる学問 |
phenomics | フェノミクス | 表現型(phenotype)を網羅的に調べる |
phenotype | 表現型 | |
phenotyping | 表現パターン検査、表現型検査 | |
PK/PD modeling | PK/PD理論 | 薬物の作用を薬物動態学 (pharmacokinetics, PK) と薬力学 (pharmacodynamics, PD) の組み合わせにより解析する |
polymorphism | 遺伝子多型 | |
Precision Medicine | プレシジョンメディスン、個別化医療、高精度治療 | 患者に最適の治療を決定するためのDNA配列とその他のオミックス解析の応用 |
proband | 発端者 | 遺伝性疾患または特定の性状を有していることから、家系が調査されるきっかけとなった個人 |
progenitor | 前駆体、前駆細胞 | |
prokaryote | 原核生物 | 古細胞と細菌 |
proteogenomics | プロテオゲノミクス | 米国国立がん研究所で、がんゲノムとプロテオームの研究を統合(2016年) |
proteome | プロテオーム | ゲノムによって生体内、組織内、細胞内に発現している、または、発現可能であるたんぱく質総体 |
proteomics | プロテオミクス | 生物が持つ全てのタンパク質・プロテオーム proteome の網羅的研究 |
refractory cancer | 難治性がん | |
relapsed cancer | 再発がん | |
repository | (情報を保管する)データベース | |
somatic mutation | 体細胞変異 | 身体の一部の細胞のみに生じた遺伝子の変化 |
splice variant | スプライス・ヴァリアント | |
targeted therapy | 分子標的治療薬治療 | |
transcriptome | トランスクリプトーム | メッセンジャーRNA、mRNAの総体 |
transcriptomics | トランスクリプトミクス | トランスクリプトーム(transcriptome)についての研究分野 |
undiagnosed case | 未診断疾患 | |
variant | ヴァリアント、変異体、変種、異株 | |
viral screen | ウイルス検査 | |
visual impairment | 視覚障害 | |
VUS, variant of unknown significance | 意義不明の変異 | |
whole genome sequencing, WGS | 全ゲノム解析 | |
whole-exome sequencing, WES | 全エクソーム解析 | エクソームとよばれるヒトゲノムのタンパク質コーティング領域は、ゲノムに占める割合が2%未満だが、既知の疾患関連ヴァリアントの約85%が含まれているため、全エクソームシーケンスは全ゲノムシーケンスの代替となるコスト効率の高い方法となっている |
whole-transcriptome sequencing, RNAseq | RNA解析、全トランスクリプトーム解析、遺伝子発現解析 | |
X-linked inhibitor of apoptosis protein, XIAP | X連鎖アポトーシス抑制タンパク質 | |
X-linked lymphoproliferative disease, XLP | X連鎖リンパ増殖性疾患 | Epstein-Barr ウイルス感染に対する免疫応答の欠陥を有する先天性免疫不全症 |