医療通訳に必要なのは、ことばの力と医療知識だけじゃない

医療通訳にとって、なにが一番たいせつなのでしょうか。言語能力でしょうか。それとも医療知識なんでしょうか。おおくのひとはこのふたつのあいだで悩むようです。もちろん、どちらも大事です。言語能力がたりずに、ことばをえらびまちがえたら、大問題です。同様に、医療知識がなく、医師の説明を誤解をしてしまい、その結果として、患者にまちがった情報をあたえてしまったら、これも大問題です。医療通訳は、言語能力と医療知識の向上につねにとりくまなければなりません。

むしろ、このふたつは、当然のこと、前提条件なのです。そして、医療通訳にとって、その前提の上にたって活動するうえで、一番たいせつなものとして求められているものは、コミュニケーション能力なのです。

現場にむかえば、なにがおこるかはわかりません。先日発表された全米初の男性生殖器移植のニュースを例にかんがえてみましょう。この患者は米国人でしたのでとくに通訳は必要としていませんでした。しかし、患者が通訳が必要な外国人だったと想像してみましょう。

患者は職場でのそけい部にケガをしたので病院にいき、治療を受けました。単なるケガだとおもったんでしょうね。ところが、医師がそけい部をしらべていると、陰茎にガンをみつけてしまいました。ケガとガンではおおきなちがいです。命にかかわるんですからね。医師は、患者のいのちをまもるために陰茎を切断することを決めました。患者にとっては大きなショックでしょう。もちろん、同意なしに切断をおこなったはずはありません。医師は告知をおこない、切断するのが最良の選択肢だと患者につたえたのでしょう。

患者にとって、このことが彼の人生をかえる大きなできごとだったことは想像に難くないでしょう。股間にわずかにのこった陰茎に満足できずにその後くり返し移植を求めたことでも明かです。では、この患者につきそった通訳だったのが自分だったらどうでしょうか。まずは、股間にケガをした患者が通訳をしているということでその患者につきます。

患者「職場で股間をぶつけてしまったんですが、血がでてきてしまったので来ました」

通訳 “I hit myself in the crotch at work, and it started bleeding, so I came over to see a doctor.”

患者だってたいしたことないとおもっていたんじゃないでしょうか。
「ちょっと縫わなきゃいけないかな」(”I may need to get some stitches.”)
そんなところだったんじゃないでしょうか。

ところが、ガンだとわかってしまった。切断しなきゃならない。話が全然ちがってきます。患者の精神状態もかわってくるでしょう。激しく動揺するかもしれません。その中で、あなたが通訳だったら、どうでしょう。淡々とおなじように訳すでしょうか。まったく同じにようにつづけるのでしょうか。

医師の話し方・トーンがかわってくるかもしれませんよ。患者の家族がよばれる可能性もあります。すると、患者の家族も対象にふくめた通訳になります。家族が騒ぎだすかもしれません。手術の同意書の説明をそのまま翻訳してくれと医師に依頼されるかもしれません(サイト・トランスレーションといって基本的には断るべきです。医師によむだけでもよんでもらい、あくまで通訳の形をとるべきです)。

状況は刻々とかわっていきます。こういったなかであなたは医療通訳として患者にとって最良の形で訳を提供しなければなりません。それを実現するのは、単なる言語力や、医療知識の枠をこえた、コミュニケーション能力です。状況をよみ、なにがベストかをつねにかんがえ、言葉づかい(レジストリー)についても調整する。

今回は、全米初の男性生殖器移植の症例をつかって話をしましたが、こういったことはいつでも起こりうることです。ですから、医療通訳にとっては、言語能力・医療知識があるのは当然、その上になによりもコミュニケーション能力がなくてはいけないのです。

医療通訳の世界は、医療系からでてきたひとと、言語系からでてきたひとに大別されます。おもしろいことに、医療通訳の方々の話をきいていると、みなさん、ご自分のバックグラウンドを強調したがる傾向にあるようです。医療従事者出身の医療通訳は医療知識の大切さをとなえ、通訳や通訳案内士、または留学経験者などは言語能力を強調する。気持ちはわかりますが、どちらも必要条件なんですよね。ですから、医療通訳はつねに勉強しなければならないんです。でも、その力をじゅうぶんに患者のために発揮するには、なんといってもコミュニケーション能力が大切なんです。

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