狂犬病ワクチンはちいさな冷蔵庫からでてきた – 僕にとっての医療通訳の原点

インドでは注射がくせもの

前回おはなししたように、犬にかまれてしまうという、一番おそれていた事態におちいってしまった僕は泣きさけびながら、砂漠の端にあるプシュカールという小さな町の唯一の診察所にたどりつきました。汚くてちいさい、たぶんみなさんのご想像どおりの診療所です。

ところで、診察所でのはなしをするまえに、なんで、犬にかまれることをおそれていたのかという理由について、もうすこしふれたいとおもいます。

すでにおはなししたとおり、狂犬病は発症したら致死率がほぼ100%のとっても危険な感染症です。ただし、ワクチンはあります。ですので、野良犬にかまれたら、とにかくワクチンをうたなければなりません。ワクチンをうつには注射をつかいますよね。この注射をつかうというのがインドではくせものなんです。

注射器をもって旅行していたイギリス人

インドをまわりだしてすぐにイギリス人と道中をいっしょにすごす機会があり、もう1人電車でいっしょになった韓国人もくわえて、僕ら3人で1週間ほどバンガローをかりてとまっていたことがあります。そのイギリス人の彼の荷物のなかに注射器があるので、なにか、ドラッグでもやっているのかときいたところ、インドでサソリに刺されてしまった幼なじみの話をしてくれました。

その幼なじみはサソリに刺されて病院にいったところ、新品の注射器がなかったそうです。病院でいわれたのが、血清をうつには注射器を再利用するしかないといわれたそうです。そして、血清をうたなくとも大丈夫な確率は50%だといわれたそうです(この50%の確率がほんとうかどうかはわかりませんが、サソリに刺されてかなりのひとがインドではなくなっているようですね)。

その幼なじみは血清をうたない方を選択したんだとききました。再利用の注射器をつかって、エイズなどのわけのわからない感染症にかかるよりは、50%のリスクをとったほうがいいと判断したそうです。結果として、幼なじみは死ななかったそうですが、なぜかそのできごと以降、人格がかわってしまったそうです。サソリ毒の影響かどうかはわかりませんけどね。僕といっしょだったイギリス人(ウィルって名前だったかな? むかしなんでおぼえてないですね)は、それがこわくて、インドを旅行するにあたって、注射器を用意したとのことでした。

そんなイギリス人の彼のことばもあって、インドで注射器を必要とする立場にはなりたくない、すなわち、ぜったいに犬にはかまれたくない、とかんがえていたのです。

診察室の水槽には注射器がぷかぷか浮いていた

さて、はなしを犬にかまれてプシュカールの診療所に泣きながら駆けこんだ僕の話にもどします。もしかしたら、診療所じたいはもうすこしおおきかったのかもしれませんが、僕の記憶にのこっているのは、ちゃんと掃除しているのかたずねたくなるような、きったないトイレと廊下、そして、10畳か12畳くらいの診察室(インドなのに畳でおおきさを表現するのもおかしなはなしですね)だけです。診察室の真ん中よりやや窓よりにはおおきなデスクがありました。

そのデスクの向こうには、ほんとうに資格をもっているのかうたがわしくなる、まったくお医者さんらしくない女医さんがすわっていました。そして、からだのおおきな看護婦さんが入り口のちかくにたっていました。

そして、これはわすれちゃいけないんですけど、入り口からみて、左側の壁際に水槽があって、そのなかの透明な液体の上には、たくさんの水槽が浮いていたってことです。「もしかして」と一瞬いやな感じが頭をよぎりましたが、こちらはなんせ犬にかまれて、気が動転していますから、とにかく、”I was bitten by a dog! I was bitten by a dog”って診察室のなかで叫んでいたとおもいます。といっても、じぶんがなにをはなしたのかなんてのは、動転していたせいか、あまり記憶に残っていないんですけどね。この水槽が意味をもってくるのは、先の話です。

はなさない女医

あいまいな記憶なんですが、その女医さんはろくろく診察をしなかったんじゃないでしょうかね。僕はキズをみせたけど、その女医さんが積極的にキズを診察した記憶はありません。たしか、すべて実務は看護師さんがやっていたとおもいます。その女医さんが声を発した記憶がないんですね。とにかく、さらさらと、処方箋をかいて、僕に渡しました。

処方箋をもらったところで、僕を連れてきてくれた男の子がまだ診察室の入り口あたりにのこっていたことに気がつきました。男の子はすぐに僕を診察所の前にある掘っ立て小屋のようなところにつれていってくれました。そこには、ひとり暮らしの学生がつかうようなちいさな冷蔵庫とちょっとした棚があるくらいで、20代前半くらいのわかいお兄さんが冷蔵庫の横のイスにボーッとすわっていました。そこが薬局だったんですね。処方箋をわたすと、飲み物でもだすかのようなうごきで冷蔵庫をガチャッとあけて、狂犬病のワクチンをだしてくれました。たいした値段ではなかったと思います。

そのワクチンをもって、さっそく診療所にもどりました。狂犬病ワクチンは針とアンプル剤が一体型となっているタイプで、看護師の方にすぐにうってもらいました。ちなみに待ち時間とかはたしかなかったですね。すぐに診察、すぐに注射という感じでした。

狂犬病ワクチンは1回うつだけじゃない

ところで、狂犬病ワクチンって一回うつだけではすまないんですよね。いろいろなタイプがあるらしいのですが、僕のは全部でたしか5回うたなければいけないタイプでした。タイプによっては、10本以上うつタイプもあるようですけど。僕のは注射する間隔をほぼ倍々であけていくというかんじでした。たとえば、初日、3日目、1週間後、2週間後、4週間後といったところです。そういや、この注射のやりかたについてははいくらなんでも、あの女医さんがしたんだよな。あまり記憶にないけど。

ずーと、プシュカールにいるわけには、いかないですからね。しょうがないので、パッケージをとっておいて、訪れたところで薬局と病院をさがしてうってもらうというかんじでした。いちどなんか、宿でいっしょになったイスラエルの女の子に軍隊仕込みの特殊なやりかたで注射をうってもらったこともあります。どうやら、傷病兵があばれたりするので、抑えこみながら、注射をうつという方法らしく、僕のからだのうえにまたがって、腕をねじりあげてから、注射をうってくれました。

ところで、プシュカールの診療所のはなしはまだおわっていません。いちばん、びっくりしたのは、このあとのことです。

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