『国際共通語としての英語 (講談社現代新書)』という興味ぶかい本をよみ、あらめて「医療通訳はどの英語を勉強すべきか」という課題をかんがえました。しかし、この課題を取りあげることについては、なんでそんなことをいうんだろうとおもう方もいるかもしれません。どの英語もなにも、英語は英語はだろうと。といっても、ちょっとかんがえればわかるとおもいますが、英語といっても、イギリス英語、アメリカ英語、オーストラリア英語、カナダ英語など、それぞれ特徴があり、ちがいがあります。「どの英語を勉強すべきか」という課題は、英語のバリエーションをかんがえると、見すごすことはことはできないものでしょう。
英語はひとつではない
日本の学校教育では、圧倒的にアメリカ英語が教えられています。中学高校でcentreなんてイギリス英語流のスペルをならわなかったことでもわかるでしょう(先生によっては、そういうスペルもありますよと教えたでしょうけど)。こういったスペルのちがいは、大別してアメリカ英語流とイギリス英語流があって、医学の世界でも存在します。
こういった表現のちがいがあらわれるのはスペルだけではありません。たとえば、BBC Americaは”If a British Doctor Invites You to ‘Surgery’ Should You Be Worried?“という記事で、医学の世界におけるアメリカ英語とイギリス英語の表現のちがいをとりあげています。わたくし自身、英日の医学交流に尽力した経験をもつイギリス人と話をしていたときに、”Are you on any meds?”(「なにか薬は飲んでいますか/つかっていますか」)というよくつかわれる表現について「とってもアメリカンだね」ということをいわれたことがあります。
ネイティブってだれのこと
ところで、日本人が英語の話者についてネイティブとよぶときは、こういったちがいを度外視し、いわゆる英語を第一言語(母国語)としている国々(anglosphere)からきた人たちをひとくくりにしています。「ネイティブのようにはなしたい」というおもいをいだく人はすくなくないようです。しかし、ネイティブとはいっても、ちょっとしらべただけで、英語のはなし方や、つかい方に、あきらかにおおきなちがいがあるのに、ネイティブのようにはなしたいというのは具体的にはどのような意味をもつのでしょうか。当然のようにつかわれているこの「ネイティブ」ということばですが、じっくりとかんがえた方がよさそうです。
医療通訳の世界での英語の使用についてかんがえてみましょう。もし、あなたが英語の医療通訳だとして、現場で担当する患者さんとなるのは、どこの出身者がおおいでしょうか。アメリカ人、イギリス人、あるいはオーストラリア人でしょうか。
じつは、いわゆるネイティブでない患者さんの担当となる可能性がすくなくありません。病院によってばらつきはありますけれども、英語の医療通訳を利用する患者さんの過半数がいわゆるネイティブでないという声が現場からはあがっているといいます。そういった声に耳を傾けると、いわゆるネイティブという患者さんは英語の医療通訳を利用する患者さんの2割から3割程度にとどまることがおおいようです。
世界の英語人口をかんがえると、この割合は偶然ではなさそうです。いわゆるネイティブは世界で3億5千万人前後いるといわれます。一方、ノン・ネイティブとして英語をつかう人の数について正確に統計をとることはむつかしいですが、イギリスの言語学者はネイティブの3倍ほどにのぼるのではないかと推計しています。この推計は日本で英語の医療通訳を必要とする患者さんの内訳に近いものとなっていることがわかるでしょう。
ネイティブでも英語がつうじない?
アメリカ英語でも、イギリス英語でも、オーストラリア英語でも、カナダ英語でも、どの英語でもいいから、ネイティブ並みになれば、英語をはなすもの同士おたがいにつうじるだろうというとそうでもありません。とくにノン・ネイティブについてかんがえると、問題はむつかしくなります。その点については、やはりBBCが”Native English speakers are the world’s worst communicators“という興味深い記事を書いています。。
この記事では、国際会議などでノン・ネイティブ同士だと、うまくはなしができていたのに、ネイティブがはいったとたんに、はなしがギクシャクしてしまうという問題が取りあげられています(”you have a boardroom full of people from different countries communicating in English and all understanding each other and then suddenly the American or Brit walks into the room and nobody can understand them.”)。ネイティブというのは、早くはなしたり、冗談やスラングを連発したり、仲間うちだけにつうじるはなしをすることがおおい(”Anglophones, on the other hand, often talk too fast for others to follow, and use jokes, slang and references specific to their own culture”)一方で、ノン・ネイティブの方がむしろつたえようとしている内容について意識的で、注意ぶかくつたえようとしている(The non-native speakers, it turns out, speak more purposefully and carefully)ことからこのような事態がうまれると記事では指摘しています。
英語学習者がネイティブに近づくことを目的として英語をまなぶと、にたような落とし穴におちいることがあります。医療通訳の学習会で、南アジア出身者の方にまねいて、ロールプレイをおこなったときのある出来事をおしえてもらったことがあります。その学習会でもっとも優秀なバイリンガルレベルの方が通訳にはいったのですが、まったくつうじず、こまってしまったのだそうです。「英語がネイティブなみにできるから医療通訳ができるわけではないんだとおもった」と参加者の方はなしていました。
南アジア出身者は、ネパール出身者だけでも、6万人以上が日本にすんでいるといいます。ネパール出身者にインド、パキスタン出身者だけをあわせても、すくなくとも10万人の南インド出身者が日本にすんでいることになります。医療サービスを受けるとなると、英語の方が安心するという方がすくなくはないでしょう。この方たちにつうじる英語をはなせなかったとしたら、医療通訳として片手落ちではないでしょうか。
共通語としての英語
では、どの英語を医療通訳として身につければいいのでしょうか。その手がかりとして紹介したいのが『国際共通語としての英語 (講談社現代新書)』です。この本では、幅ひろいバリエーションのある英語について国際共通語としての核となる部分をさがす試みが海外ではすすんでいることが紹介されています。
「国際共通語としての英語」(English as a Lingua Franca、ELF)をさぐる試みを理解するうえでたいせつなことは、世界にはネイティブがはなす英語だけでなく、ノン・ネイティブがつかういろいろな英語があるという事実について肯定するという姿勢でしょう。重要な取りくみとしては、「発音」の見なおしがあげられるでしょう。といっても、「発音」を今ままでとはちがったかたちで、画一的にまとめていくというわけではありません。それよりも、発音のちがいの幅をみとめつつ、どこまでがコミュニケーションをなりたたせるためにはゆるされるのだろうか、という点から見なおされています。
ところで、本書でも強調されていますが、言語はその言語がはなされている文化と密接な関係にあります。私が「国際共通語としての英語」を取りあげるのは、日本で医療通訳として活躍することを前提に、どのように英語をつかえばいいのかという課題に取りくむためです。もし、医療通訳の勉強をして、アメリカではたらきたいというのであれば、それこそはアメリカ英語をアメリカ文化とともまなんでいくことがたいせつでしょう。といっても、Grammar Girlことミニョン・フォガティが自身のポッドキャストでくりかえしはなしているように、アメリカ英語にも、かなりのバリエーションがありますが。
日本で医療通訳として英語をつかうには、「国際共通語としての英語」を意識すべきとかんがえます。鳥飼玖美子さんの『国際共通語としての英語 (講談社現代新書)』には、そのためのヒントがたくさんかかれています。ぜひご一読を。