医療通訳のしごとへの理解と協力をえる

ある医療通訳の団体の事務所をおとずれていたところ、そこへ高校生から電話がかかってきました。「医療通訳のことについてレポートをかいているので、おはなしをききたい」とのことでした。事務局しかその場にはいなかったので、僕がはなしをすることになりました。高校生がききたかったのは「医療通訳にとって、なにがいちばんたいへんか」ということでした。できれば、一般論ではなく、医療通訳として個人的に経験したことをききたいとのことでした。

率直で飾り気のない質問をうけると、できるだけ誠実にこたえなければならないという気もちになります。医療通訳としてやってきたしごとを、あらためて振りかえり、その高校生には、僕自身の経験をいくつかはなしました。

医療通訳としての自分を振りかえる

振りかえったなかでも、もっともたいへんだったとおもうのは、医療通訳についての理解と協力を、同僚である医療従事者やスタッフからえるということでした。

医療通訳のトレーニングコースをへて民間資格の医療通訳士1級をとり、都内のあるクリニックにつとめたのですが、そのクリニックでは、医療通訳なんてものは、その存在すら、僕が勤務するまで、だれもしりませんでした。そういった方々に、医療通訳というしごとを理解してもらうのは簡単ではありませんでした。

医療通訳というあたらしい職業について、どこまでの業務範囲が職責なのかということは、きちんした説明抜きではわかってもらえないことでした。僕自身が医療通訳になったばかりでしたので、医療通訳というしごとへの理解が浅く、うまく説明ができなかったということも、状況をむつかしいものにしていました。

さいわいだったのは、クリニックで出会った医療従事者の方たちとのあいだで、いい関係をきずくことができたということです。医療通訳という、あたらしい職業へのつよい抵抗はかんじませんでした。それでも、おたがいの理解不足からまわりみちをしてしまったとかんじるところはあります。

患者の目の前で

あるとき、医療従事者の1人が、患者の病状についての自分の見解を患者の前でポロッと口にしてしまったことがあります。患者が日本語がわからないために、つい油断したんでしょうね。しかし、僕が訳し出そうとしたところ、あわてて「あー、これは訳さないでいいです」とあわてて指示してきました。

ちょっとしたやりとりではありましたが、患者の目の前ですっぽり通訳されないやりとりがあったのですから、患者があのとき、なにが自分の身に起きているのだろうと不安になったとしても、ふしぎなことではなかったでしょう。「あれは、自分から患者につたえることではないので、患者のまえで口にすべきではなかったんです」とあとで説明されました。

CIFEにありますように、診察室や検査室などで交わされたことばを医療通訳は基本的にすべて訳します。こういった医療通訳のすすめ方を、僕があらかじめ、つたえていれば、このときのことは避けられていたことだったろうと、いまはおもいます。

理解をえるということでいえば、サイト・トランスレーションの線引きも簡単ではありませんでした。僕が問診票や同意書の翻訳も担当していただけに、サイト・トランスレーションを避けようとする理由が同僚にはみえづらかったのでしょう。ていねいに説明していく必要がありました。それでも、心から納得をしてもらえたのかというと、いまでも自信がありません。

医療通訳士倫理規定の第6条をよみかえす

医療通訳士協議会が発表している医療通訳士倫理規定の6条は、「医療通訳士は、医療従事者や社会に対して医療通訳士の役割を知らしめ、医療場面でのコミュニケーションが円滑に進むように通訳環境の整備に努める。また、医療従事者やその他専門職の役割を理解し、連携協働していく」となっています。医療通訳として自分が直面した課題を振りかえると、この条文がもつ意味はとてもリアルです。

この条文について僕はこう考えます。医療通訳として「役割を知らしめ」るためには、そもそも自分がその役割について、しっかりと理解していなければなりません。そうすれば、その役割をこなすためには、なにをすればいいのかということがみえてきます。そうしてはじめて、「通訳環境の整備に努める」ことができるのです。

医療通訳はそもそもひとりでやるしごとではありません。患者と医師・医療従事者、病院スタッフとのコミュニケーションをつなぐ「橋」なのです。医療通訳としての自分が、その役割を明確にすることによって、患者も医療従事者の方たちも安心して、その「橋」をわたり、患者の健康のための医療行為につとめることができるのです。