医療通訳は自分を語らない

医療通訳は自分を語らないとはいいましたが、医療通訳にかぎらず、通訳ってのは自分を語らないものです。字幕の大家、戸田奈津子さんのように、ぐいぐい前にでていって自分を語る方もまれにはいますが、そうはしない・できないのが通訳です。

バラエティ番組などで、外国人俳優や歌手に通訳がついているのをみることがあります。ときどき司会のコメディアンがそういった通訳の方にツッコミをいれたりしますよね。通訳の方は、こまった顔をしたり、笑ったりと反応はするものの、つねに自分をおさえています。前にでていくことはしません。

医療通訳は、時として前にでていかなかればならない

医療通訳がむつかしいのは、時として前にでていかなければならないということがあることです。問診や治療法の説明、食事療法などのはなしなどについて通訳をしていると、文化的・宗教的背景から、単にことばを置きかえているだけでは、患者にはなしがつたわらないことがあります。反対に、患者が症状をうったえるときや、医師に質問をするときなども、単なることばの置きかえだけでは足りないときがあります。医療通訳は、患者や医師が十分におたがいを理解することができるように、ことばの置きかえだけでは足りないものをおぎなう努力をしなければなりません。

医療通訳士倫理規定の2条にあるように「医療通訳士は、患者等と医療従事者の発言の意味するところを忠実に通訳するとともに、社会・文化・習慣・宗教などの違いを考慮し、良好なコミュニケーションの成立を図る」努力が求められるのです。

前にでるときには必要最低限のことだけをつたえる

前をでるときに気をつけなければいけないのは、足りないものをおぎなうことばは、必要最小限にすべきだということです。通訳が自分の経験を語りだしたりしてはいけないということです。

たとえば、インドの方が日本で犬にかまれて来院したとします。インドでの狂犬病の蔓延ぶりをかんがえると、日本人の患者よりも、狂犬病について神経質である可能性があります。狂犬病感染の危険性について医師に何度も質問することもあるでしょう。狂犬病は日本では撲滅されているので、医師はとまどい、はなしがかみあわなくなることもあるでしょう。

僕はインドで犬にかまれた経験がありますので、その点が理解できます。しかし、僕が「えー、私はインドで犬に経験がありまして、そのときに…」などと自分の経験を語りだす必要はありません。「インドでは、狂犬病での死者数がいまでもおおいので患者さんは神経質になっているようです」と指摘だけすればいいのです。医師は納得し、日本とインドのちがいを説明することで、コミュニケーションがうまくいく、ということもあるのです。

医療通訳にはバランス感覚が求められる

医療通訳は時として前にでていかなくてはいけないけれども、基本的には黒子として患者をサポートしなくてはいけません。どこででていくのか、どこでひっこむのか、おぎなうべき情報はどこまでなのか、どこまでいうといいすぎなのか。絶妙なバランス感覚が求められます。

これは、とてもたいへんなことです。もってうまれたバランス感覚の持ち主もいますが、おおくの医療通訳は意識的に身につけなくてはならないでしょう。ひとりではむつかしいです。医療通訳同志の勉強会では、どのようにバランスをとっていくのかをおたがいにはなしあいましょう。

ご質問があれば、気軽に問い合わせページからご質問ください。

医療通訳は医療チーム・病院の一員になるべきか

医療通訳がしごととしてみとめられていない、医療通訳はボランティアとしてしかみられていない、という不満の声をよくききます。とくに職業として、通訳をやってきたひとのあいだには、通訳としてきちんと仕事をこなすには、準備などに相当の時間や労力がかかることから、それにみあう賃金は支払うべきだという意見がおおいようです。

僕自身、じぶんの英語という言語能力をもとにこの業界にはいったので、こういった不満は理解できますし、共感もできます。ただ、病院につとめていた経験から、病院側の事情を理解することができるので、不満をうったえても、医療通訳と病院との間の気もちや、かんがえがすれちがうだけではないかと、どうしてもおもってしまうのです。

アメリカでは、医療事故・訴訟対策ということもあり、医療通訳を医療チームのなかに迎えいれたといいます。たとえ、医療通訳が外注だったとして、患者にたいしては、医療チームの一員として位置づけた、そして、そうしたことで、医療通訳の地位が確立されたのだというのです。

では、日本でも、医療通訳は医療チームの一員として、迎えいれられるべきなのでしょうか。

おたがいの環境・事情を理解する

現状では、おたがいの環境や、事情を理解していないことが不満の種になっている側面があるようです。通訳の出身の方のなかには、会議通訳の相場を持ちだし、医療通訳の報酬のすくなさをうったえるかたもいます。おたがいの状況をりかいすることから、はじめましょう。

まずは、病院の経営環境や、医療従事者の労働環境などを知ってみましょう。具体的には、給与水準、年間休日数などをしらべてみましょう。病院は、職能制によるある種の階級社会です。どの会社もその側面はありますが、病院ではとくに顕著です。

もし医療通訳がそのなかの一員になるとしたら、どこに位置づけられるべきかなのでしょうか。これは、医療通訳の同志で積極的に話し合い、かんがえていくべきことでしょう。病院事務と、同等であるべきなのでしょうか。看護師、あるいは検査技師や放射線技師とくらべるとどうでしょうか。

病院側も、通訳というものの社会的地位、とくに経済的な点(賃金)で通訳というものがどういった地位をもっているのとかといった点を理解すべきとかんがえます。

原資はどうするのか

日本の医療制度は微妙なバランスのうえでなりたっています。病院など医療機関は、収益という点でみると、かなり厳しい環境におかれています。そのなかで、医療通訳という新たなポストをもうけるということがどのようなインパクトをあたえるのかといった点はかんがえなければなりません。

医療通訳には相応の報酬が必要だといった場合、その報酬はどこからくるのがいいのでしょうか。いまの病院の経営環境からいって、ほとんどの病院が負担することはむつかしいでしょう。では、国や市町村がその原資負担をになうべきなんでしょうか。あるいは、患者がになうべきなんでしょうか。そして、その原資負担は、どのようなかたちをとればいいのでしゅか。

こういった点もかんがえて、提案していくべき局面に医療通訳はあるとかんがえます。ひとりでかんがえなくていいんです。すぐに答えがでるものでもありません。おりにふれて、医療通訳の横のつながりのなかで、はなしあうべき課題なんだとおもいます。

医療通訳の不安定な地位について不平・不満をいう段階からぬけ、現実的な解決策をもとめる段階にすすむことが、医療通訳をもとめる外国人患者へのサポートを充実することにつながるはずです。医療通訳側・医療機関側のことを中心にかいてきましたが、すべては、外国人患者のサポートのためなんです。

ご質問があれば、気軽に問い合わせページからご質問ください。

「大草原の大きな家」で犬にかまれてERへ

以前、当ブログで僕がインドで犬にかまれたはなしをしました。そのなかで、最初に犬にかまれたのは、アメリカでだったとかきました。その経験があったので、狂犬病だけが危険なのではなく、破傷風のほうがむしろこわいんだということを、インドで犬にかまれたときは知っていたんですよね。診断のながれをしっていたことが強みとなりました。医療通訳にとってたいせつな、診断のながれを理解するということが、この2つの「痛い」体験を振りかえることであらためて、確認できました。

「大草原の大きな家」から同級生たちは大学へきていた

僕は大学時代をアメリカの中西部の片田舎で過ごしました。クラスメートのおおくは、大学生としてはファースト・ジェネレーションでした。つまり、彼らの親は高卒がせいぜい、大学にいくことになんの意味もかんじていない農家の経営者たちがほとんどでした。僕のクラスメートたちは、そういった親たちの無理解による反対を押し切って、将来へのおもいを胸にじぶんたちの力(ローンとか奨学金とかをえることで)で、大学に来ていたのです。

彼らの実家にたまにつれていってもらうと、まわりになにもない、どこまでもひろがるトウモロコシ畑のまんなかにポツンとたっている農家であることがおおかったです。彼らの両親は、僕が外国人であることについて正面きっていやな顔をすることもありませんでしたが、こどもの友人として歓迎している雰囲気もありませんでしたね。きもちのうえで、とても距離が遠いかんじでした。僕の友人が女の子であった場合、兄弟は顔をしかめることがすくなくなかったですね。

そういや「大草原の小さな家」っていうアメリカの人気ドラマがむかしやってました。あのドラマって、僕がいた地方が舞台だったんですよね。さすがに僕の友人たちの実家は、それほどちいさくはなかったですけどね。むしろ「大草原の大きな家」ですかね。

友人のガールフレンドの実家へあそびにいく

僕のルームメイトにバングラディッシュ出身のナセルがいました。ある週末、ナセルがガールフレンドのリンダといっしょに彼女の実家にあそびにいくというので、それにつきあうことにしました。リンダの実家も、ご多分にもれず、州道からはずれた砂利道(gravel road)をずっといった先にある、となりの家をたずねるのにあるいていったら、いつたどりつけるのかというような、野なかの一軒家でした。

リンダの家が、他のクラスメートたちの家とちょっとちがっていたのは、お父さんが早くになくなっていて、しかも、こどもは女の子が4人だけと、女性オンリーの家だったということです。そして、野なかの一軒家に住んではいても、お父さんがなくなったことで、農業をもう営んではいませんでした。

外国の犬には、やっぱり日本語はダメ?

リンダの家では、中型犬を一匹かっていました。とても、性格のいい、かわいい犬でしたね。記憶では、どちらかというと和犬にちかいような外見だったとおもいます。

そのころはまだかまれたことがなかったので、犬に対していっさい恐怖心はありませんでした。それに、リンダの家の犬はとてもおとなしくてかわいいかったので、わんちゃんの顔に自分の顔を押しつけ、かまっていたんです(2度も犬にかまれたあとは、そんな気にはなれません)。

自分でもなんでそんなことをおもいついたのか、いまでもふしぎなんですが、いつのまにか日本語でそのわんちゃんにむかってはなしかけたんですよ。なにをいったかは、もうずいぶんむかしなんで、おぼえていないんですが、たぶん「おまえ元気か。かわいいな」とかそんなことを日本語でいったんだとおもいます。

はじめてきいた日本語で混乱してしまったのかな。おとなしかったわんちゃんが、急にほえだして、僕にとびかかってきました。僕はびっくりして飛びのきました。そしたら運悪くちょうど、僕の股間にわんちゃんの口がきちゃったんですね。

うまくよけられたとおもったんですけどねぇ。ダメでした。ジーパンの股間の部分に5㎝くらいの裂け目ができていました。血がにじみでてきました。あわてて、部屋のなかにはいって、パンツをおろすと、大事なものをいれる袋の部分に牙のあとでぽっかり穴があいちゃってるような状態でした。

ビックリしましたね。といっても、そのときはインドで犬にかまれたときほど、大騒ぎはしませんでしたけど。とはいえ、相当動転したのは事実です。見た目、袋に穴があいちゃった感じなんですからね。

バレット(Barret)というリンダの家の近くになる町は人口が500人にもみたないちいさなところでしたらから、そのあたりでもいちばんおおきい町にいそぎました。とおおおきいとはいってもバレットにくらべてということで、そのエルボー・レイク(Elbow Lake)でさえ、人口がせいぜい1000人にいくか、いかないか程度のちいさな町だったんですけど。

医師は冷静に犬の経過観測について説明

駆けこんだERで消毒をしてもらい、よくみてみると、さいわいなことに穴があいたようにみえたキズもたいしたことのないひっかき傷(scratch)でした。ホッとしていると、ナセルと、もうひとりいっしょだったスリランカ人のシャミータが、狂犬病(rabies)の可能性について医者に質問をはじめました。あとからかんがえてみると、ふたりとも南インド出身だから、狂犬病についてリアリティがあったんでしょうね。

振りかえると、日本人とバングラデッシュ人にスリランカ人という3人組が、ど田舎の病院のERにかけこんできて、しかも股間を犬にかまれたなんてうったえるなんてのは、B級コメディー映画になりそうな感じですよね。しかも、週末ですよ。でも、医師は冷静でしたね。たんたんと、しかも快活に説明してくれました。

「発症していないようにみえても、犬がかみついた原因は狂犬病である可能性がある」
「狂犬病のワクチンは、からだへの負担がおおきいからなるべくうちたくない」
「かんだ犬は特定できているから隔離する」
「犬の経過を観察し、狂犬病の症状がでてくるか確認する」
「患者への狂犬病のワクチン投与は、犬の発症を確認してからでも間にあう」
「狂犬病よりも、感染の可能性が高いのが破傷風(tetanus)なので、破傷風のワクチンはすぐにこの場でうったほうがいい」

医師の「たんたんと、しかも快活に」という姿勢は、すごい説得力があったなとおぼえています。異文化・異言語の環境(アメリカのそんな田舎で救急病棟にかけこむなんて僕でもはじめてでした)のなかで、冷静でありながら、おもくない姿勢を医者がしめしたってのは患者である僕を安心させました。もちろん、はじめてあった医師でしたけど(そして2度とあうことはありませんでしたけど)信頼して判断に耳をかたむけることができました。医療通訳をやるうえで、おもいだすと参考になります。

たんたんと処置してくれたので、こちらは気もちが落ちつきました。医療通訳となったいま、冷静な姿勢というのは医療の現場で大切だということが振りかえるとあらためてわかります。

あのとき、どうして狂犬病や破傷風って病名がわかったのか、いまからかんがえるとふしぎです。大学に戻ってから辞典で確認したことはまちがいないとおもいます。たぶん治療室のなかでは「rabies→狂犬病」「tetanus→破傷風」とか2言語でかんがえたのではなく、rabiesはrabies、tetanusはtetanusとして受けとめ、医師がいいたいことを理解していたんだとおもいます。

そうできた僕はラッキーだったんだと思います。医療通訳を必要とする外国人患者さんはそうはいきませんよね。「狂犬病→rabies」「破傷風→tetanus」という置きかえが必要になります。それに医師がどういったながれで、どう説明するかといったこともしっていなければなりません。しっかりとした準備が必要です。

犬の処分についての希望をきかれる

ビックリしたことは、医師から犬の処分について希望をきかれたことです。ひとをかむような危険な犬だから、殺処分を希望するかと、質問してきました。もし希望したら、犬は殺処分されるといわれました。

僕はなんの処分も求めないとつたえました。女ばっかりのリンダの家において、家の番犬、そして一家の一員として、そのわんちゃんはある意味おとうさん代わりをしていました。リンダの家に滞在して、そのことが僕にはよくわかりました。そんなわんちゃんを殺せとは、とてもいえませんでした。リンダとはクラスメートでしたし、人間関係をわるくもしたくありませんでした。そもそも、ひとをかんだ犬は殺処分なんて発想もありませんでした。

感心したのは、大学にもどった僕に、事故のはなしをきいたパキスタン留学生たちが口々に「なんで殺さなかったんだ」といってきたことです。「犬の分際でひとにかみつくなんて、もってのほかだ」といっていました。こんなところにも、文化の差がでるんだなとかんじました。こういった文化の差を自分の痛い体験とともに体感したことは、医療通訳をやるうえで大きなプラスだったとかんじます。

すべては遠いむかし

ところで、アメリカで病院にかかったはなしをきくと、よく高額な治療費が話題になります。その点、どのくらい僕の治療にお金がかかったのか気になるところです。しかし、お金については、残念ながら記憶がはっきりしません。ぼんやりと、おぼえているのは、ちいさな町をいくつかカバーしている病院だったので、医師とリンダの家がしりあいで、融通をきかせてくれたということです。あのころは、そんなところも、アメリカの田舎にはありました。いまはわかりませんが。

このはなしをかくうえで、ちょっと確認したいことがあったので、ナセルにフェイスブック・メッセンジャーで連絡をとりました。彼もそのできごとはおぼえていましたけど、すべては「long long time ago」ということでディテールについてはなにもおぼえていませんでした。

あのときは、犬にかまれたことに動転するばかりで、狂犬病も、破傷風のこともよくわからなかった僕がいまでは医療通訳をやっているんだと、フェイスブックでつながってはいても、直接連絡をとりあうのは久しぶりだったので報告しました。

あのころは、ほんとうに楽しかったよな、「Good old days」といいあうばかりで、すべては、とおい昔のはなしになってしまいました。

薬についてのみかたがかわる2つのスピーチ — TED Talkから

TED Talkを英語の勉強につかっている方はおおいとおもいます。たいがいのスピーチで、日本語と英語の両方の字幕がそろっていますから勉強になります。僕自身も興味深いスピーチがおおいので、よく利用しています。医療関連のスピーチもおおいですし、とても刺激的な内容のスピーチがすくなくありません。

きょうは、薬のことを取りあげた2つのスピーチをご紹介したいとおもいます。どちらも、僕にとって、薬についてのかんがえ方をみなおす、いいきっかけになったものです。とても、おすすめです。それぞれの講演のなかでつかわれていることばについては、Glossary(単語帳)をつくりました。このページの下の方にあります。

なお、スピーチの動画は当ブログでそのまま再生できますが、TED Talkのサイトに直接いくと、Transcript(講演の書きおこし)があったりして便利ですよ。

まず1本目は、ERドクターのアリソン・マッグレガー先生です。「リコールされた薬の80%が女性における副作用によるもの」「薬の開発は、すべて男性の細胞、動物のオス、男性をつかったもの」「第2次大戦後、人体実験からひとをまもるために規制がもうけられた」「妊娠していた場合のリスクをかんがえ、女性(およびメス)は試験の対象からはずされた」といった事実を積みあげていきます。そして、薬の開発だけでなく、医学全体が男性と女性のおおきなちがいに結果的に気づかずに来てしまったことを指摘しています。とても刺激的です。

アリソン・マッグレガー: 女性にとって医学に危険な面があるのは何故か?
Alyson McGregor: Why medicine often has dangerous side effects for women

次は、ダニエル・レヴィティン先生です。タイトルをみてもわかるとおり、全体のスピーチは薬のはなしではありません。6分30秒くらいのところから、薬の効果のはなしになってきます。このなかで出てくるNNT(number needed to treat、治療必要数)という指標の現実の数値がおどろきます。「90%の薬が30〜50%の患者にしか効かない」「ひろく処方されている高コレステロールの治療薬スタチンのNNTは300」など、目からうろこがおちました。くわしくは、スピーチをみてみましょう。

ダニエル・レヴィティン: ストレスを受けても平静を保つ方法
Daniel Levitin: How to Stay Calm When You Know You’ll Be Stressed

Glossary

アリソン・マッグレガー: 女性にとって医学に危険な面があるのは何故か?

英語 日本語
runny nose 鼻かぜ、鼻水
stubbed toes 足趾捻挫、足の指のねんざ
animal study 動物試験
clinical trial 臨床試験、治験
regulatory approval process 薬事承認審査
Ambien ゾルビデム、米市場ではアンビエン。睡眠導入剤。
sleep disorders 睡眠障害
metabolize (動)代謝する
drowsy (形)眠い
fetus 胎児
blessing in disguise 都合のわるいことのようにみえて、じつは都合のいいこと
homogeneous (形)等質的
reproductive organ 生殖器
sex hormone 性ホルモン
breast 乳房、胸
ovary 卵巣
uterus 子宮、wombとも
pregnancy 妊娠。gestationとも
bikini medicine 女性の胸と生殖器だけに注目した医療の実践、調査などをさすことば
boobs and tubes (俗)(女性の)胸と膣
anatomy 解剖学
physiology 生理学
cardiovascular system 心臓血管系
typical (形)定型
atypical (形)非定型
Institute of Medicine 米国医学研究所、IOM. 2015年に[National Academy of Medicine}(https://www.nationalacademies.org/hmd/)(全米医学アカデミー)に改組された。
conception 受胎
chromosome 染色体
testes testisの複数形。睾丸。ラテン語。testicleの方が一般的。balls
susceptibility 感受性、易感染性、易罹患性、(病気への)かかりやすさ
severity 重篤度
sex 生物学的性別
gender 社会的性別

ダニエル・レヴィティン: ストレスを受けても平静を保つ方法

英語 日本語
cortisol コルチゾール
pre-mortem 事前分析。pre- + -mortem(「前」+「死」)
hippocampus
olfactory sense 嗅覚
cholesterol コレステロール
cardiovascular disease 心血管疾患
heart attack 心臓発作、心筋梗塞
stroke 脳卒中
statin スタチン、HMG-CoA還元酵素阻害薬。コレステロール降下剤。
prescribed drug 処方薬
number needed to treat 治療必要数、NNT。薬の服用や手術 何らかの医療処置で 一人が助かるまでに そうした処置をする 必要がある人数のこと(The number of people that need to take a drug or undergo a surgery or any medical procedure before one person is helped.)
GlaxoSmithKline グラクソ・スミスクライン、GSK。製薬会社
debilitating muscle 筋肉衰弱
joint pain 関節痛
gastrointestinal distress 胃腸障害(胃腸の不調)
prostate cancer 前立腺ガン
impotence 不能
erectile dysfunction 勃起不全
urinary incontinence 尿失禁
rectal tearing 直腸断裂
fecal incontinence 便失禁
digestive system 消化器系
libido 性欲
immune system 免疫系

最後に、副作用ということばについて、ちょっとしたおはなしをひとつ。どちらのスピーカーとも副作用をあらわすことばとして、side effectsということばをつかっていましたよね。副作用には、side effectsのほかに、ADR(adverse drug reaction)ということばがあります。医療通訳の場合は、一般人である患者のことをかんがえて、side effectsをつかった方がいいとおもいます。ですが、翻訳などで製薬業界とかかわった場合はADRをつかうことをおすすめします。

Tokyo Medical English Discovery Seminarで医療英語をまなぼう

医療英語をまなぶのにぜひすすめたいのが、日大医学部助教の押味貴之先生が主宰されている「Tokyo Medical English Discovery Seminar 」です。事実上、東京エリア限定になってしますが、日大板橋キャンパスでほぼ毎月1回のペースで開かれています。具体的な開催日時については、FacebookのMedical English at Nihon Universityのページで告知がでます。

ときどき、学生だけに対象を限定した特別セミナーをひらくときがありますが、ほとんどの回が対象をオープンにしており、社会人でも参加できます。医学部の学生(日大以外の医学部生も数おおく参加しています)をはじめ、看護師などの医療従事者、医療通訳・医療翻訳をやっている方など幅広い方が参加しています。参加人数は回をおうごとにふえているようです。

セミナーでは、毎月テーマがあたえられます。そのテーマにそってロールプレイや鑑別診断のディスカッションを行います。いままでの、テーマを振りかえると、ことしの3月はめまい(dizziness)、4月は身体検査(physical exam)でした。

おおむね6人ずつくらいのグループに分かれて、グループワークのかたちでセミナーはすすめられます。以前は、配られる資料をみながら、日本語をつかったりしながら、すすめたりしていたのですが、じょじょにかわってきて、すべて英語でディスカッションするようになっています。

医学部の先生が主宰ということもあって、基本的には医学部の学生に英語圏での医療実践を擬似的に体験させるところに主眼がおかれています。ロールプレイも医療通訳のものとはちがいます。英語圏での臨床の現場を想定して、患者役も英語、医師役も英語でワン・オン・ワンで診察するといったかたちのものです。

このセミナーのすばらしいところは、医療英語や医療通訳・翻訳をまなぶ、さまざまなひとと出会える場であるということです。僕が「医療通訳は横のつながりが大事」という記事のなかでいいましたように、医療通訳にとっては、ともにまなぶ同志とつながっていくことがとても大切です。ぜひ、Tokyo Medical English Discovery Seminarのセミナーに参加して、あたらしい出会いをみつけてください。